自分が嫌われていると思い込んでしまう時【1つだけ意識しよう】

のんびりする猫

こんにちは!

人生成功マインドを勉強するブロガー
べんがる(@bengal_bloger)です!

私が子どもの時に…
いや!誰もが耳にしたと思われる

【自分がされて嫌な事を
 人にしてはいけません】

これに対して納得いかない人が
私の周りに意外と多いんです。

「ウチの親も言うけど
 中身がないような…」

「それを言う人だって
 私が嫌と思う事してんじゃん!」

そんな話をいくつか聞いたので
今見てくださっている
この記事を書くということを

ツイートしました。

そうすると
こんな意見をいただけました。

ごもっともだと思ったのは
最後の文章。
「何が嫌かは人が決めること」

まさにその通りですよね。

私の言いたい事とは
違ったものの
他人の思考に重きを置くという
柔軟な視点は重要であり
大切なことでしたので
許可をいただいて
掲載しております。

では私が言いたかったことを
書いていきますね。


人が喜ぶことをしよう

嫌がることをしない ではなく
相手が喜ぶことをしよう

というのが大切なのです。

正直な話
エスパーでない限りは
相手の気持ちそのものズバリ

「あなたは〇〇が
 嫌だと思っている!」

「な、なぜそれを…!」

という推理本さながらなことは
できません。

であれば…
私たちにできることは本当に
【自分がされて嫌なことは
 人にしない】ことでしょうか?

それはつまり

だっくす
だっくす
これはイヤかな
あれはどうかな
…う~ん??

となって何もできなくなったり


の中にある
「自分は嫌じゃないし」
といって好き勝手できる
免罪符(めんざいふ)に
なりかねません。

嫌がられないために何もしないと何も充実しない

ベランダの猫

「相手が嫌だったらどうしよう」

と考え続けるのもツラいですし
だからといって

「何もしないようにしよう
 それなら何も嫌じゃないよね」

となってしまうと

人生から充実感や充足感が
なくなってしまいます。

「俺って不幸が好きでさぁ」

というなら大丈夫でしょう。

人生において
何も充実しないというのは
生きる意味を探してしまう状態

にとても近づいてしまいます。

私は精神安定剤の服用や
鬱病の診断をされていた時期に
経験があるのですが

人生に充実感や充足感が無くなると

本来であれば

あなたの命はあなたである時点で
特別である

という事実から

「(何のために
 生きているのだろう)」

という答えのない問を
脳が勝手に始めてしまいます。

だからこそ
相手が嫌がる可能性があるから
私は何もしないという考え方は
人生という視点で見ると
正しくありません。

充実しない人生は自分が嫌われていると思う原因にも

【自分がされて嫌なことは
 人にしない】という考えから転じて

人生を充実させるには
相手に嫌がられることが
ダメなことと思い込んでしまい

なんでも言う事を聞くようになり
最後には自分のメンタルが
限界になる人もいます。

これは凄く悲しい事です。

とてもやさしい心をもっているから
自分のできること全てを
投げうってしまう。

ではなぜそうなるのか?

先ほども書きましたが

あなたの命はあなたである時点で
特別である

という事実が

だれかに認められなければ
私の命が特別でなくなる

という状態になっているからです。

つまり自分の価値基準が
他人に完全依存している状態。

幼いころから

  • 自分がされて嫌なことを
    人にしない
  • 人の顔色を見るよう
  • 人に嫌われてはならない

そんな刷り込みをされて
育ったので価値基準が
他人になっています。

そして本当に大切なので
もう一度書きますね。

嫌われたくないとしても

エスパーでない限りは
相手の気持ちそのものズバリ

「あなたは〇〇が
 嫌だと思っている!」

「な、なぜそれを…!」

という推理本さながらなことは
できません。

これは逆に相手が喜ぶことも
絶対にできるとは

限らないということです。

なので…
深く、深く、深く
考えてからしてください。

よくあるトラブルに
【よかれと思って】があります。

よかれと思ってというのは
実のところ
ただ自分が良いと思ったから
であって
相手が喜ぶ理由にはなっていません。

喉が渇いている相手に
【良かれと思って】
飲み物として
ホットおしるこ渡しても
喜ばれませんよね(笑)

自分のための親切

相手のために何かをする
という行動は明らかな見返りを
求めていない限り
愛情から行動が来ている
と言えます。

そして
アメリカ、コンコルディア大学が
情報元であるサイエンス誌に
興味深い記事がありました。

要点をまとめると

愛によって脳が活性化される場所は
報酬や喜びに価値を与える場所と
麻薬中毒になる一部の脳にも関連している。

ということでした。

つまり誰かのために
相手の喜ぶことをするというのは
脳が幸せであり快感であると
認識しているのです。

意識していないだけで
誰かの為の親切というのは
脳が快感に従って
体に命令している状態
という
ことになりますね。

そして脳が幸せだと
感じたならば幸せホルモン
呼ばれているオキシトシン
脳から分泌されるのは必然です。

オキシトシンは精神の安定や
幸福感にも役立ちます
ので
すなわち人生の充足感に
つながります。

結局だれかの為に
親切にするというのは
自己満足の脳の欲求なので
遠慮せずに親切というのは
していいんです。

ただし!
深く、深く、深く相手の事を
考えて…ですよ(*´ω`*)

相手が喜ぶか分からない時

はてなを浮かべる子猫

相手が喜ぶかどうか
分からなくて動けない時は
少しずつでいいので確実に

相手が喜ぶ小さな親切を
していくことが大切です。

しっかりと一歩ずつ。

嫌がることをしない ではなく
喜ぶことをしようという考えに
脳を慣らしていくことで、無意識に
相手の求めているものが
分かるようになっていきます。

急に「親切な人間になるぞ!」と決意して
簡単になれるものでもありません。

どんな事にでも言えることですが

「よし!やるぞ!」
「うおぉぉぉぉぉ!!!!」

と頑張る人は
燃え上がりから燃え尽きまで
マッハです(笑)

分かり切ったミスをしないために

少しずつ脳という臓器を
慣らしていってあげましょう!

 

 

 

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